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第1回世田谷区ベンチプレス選手権大会

  • 作成日:2007-07-04 23:00:59 (中原 雄一) | 更新日:2007-07-04 23:00:59 (中原 雄一)

ベンチプレス

中原 愛子はこの前の週に行われた東京都パワーリフティング選手権大会に続き、2週連続の大会出場となっていました。

その大会でも優勝していましたが、ベンチ プレスで普段練習していた重さが上がらず失敗したことを非常に残念がっていて、このベンチ プレス大会では確実に上げたいと考えていました。

第一試技は順調でしたが、第二試技(上の写真)の実施中にアクシデントが起こりました。背中の筋肉をひどく痛めてしまったのです。

第二試技で持ち上げた55kgは東京都タイ記録でしたので、私を初め、指導してくださった世田谷区パワーリフティング協会理事長も棄権を勧めました。

しかし、「ここでやめたら練習が無駄になる」とどうしても棄権を聞き入れませんでした。そして、第三試技を60kgの予定から急遽57.5kgに変更してチャレンジすることにしました。これは、先週の大会で失敗した重さです。

第三試技はセコンド陣が息を飲んで見守るなか行われました。ところが背中を痛めているにもかかわらず、意志の力で克服し、第二試技の55kgのときよりもっと楽に上げてしまいました。これで東京都記録達成です(翌年破られましたが)。

このときに受けた背中の障害は頑固でなかなか治りませんでした。

翌年、自分の記録が破られたことを知った(東京都記録は60kgになっていました)愛子は、再び記録更新を狙うことにしました。

第一回大会のときはベンチTシャツを着用していましたが、この年はすでにノースーツで60kgを数回上げていましたから、かなり期待していました。

しかし、大会の前の週に突然、愛子が使用しているベンチTシャツが公認スーツから排除されたと聞かされました。

確認を取らなかった私たちも悪かったのですが、まだパワーリフティングの世界をよく知らない私たちはそんなことが起こるとは夢にも思っていなかったというのが実情です。この公認取り消しが1ヶ月以上も前に申し込んでいる選手に伝わらない、ということに対して、最も失望したのは選手として出場する予定だった愛子でした。ちょっと背中の調子が悪かったこともあったのですが、公認取り消しを聞いたときには完全にやる気を失ってしまったのがわかりましたし、私もこのときはかなり頭に来ていたので、彼女が「出場をキャンセルする」といったときには反対しませんでした。

理事長には「こんなことには負けずに出場してほしい」と励ましていただきましたが、彼女も私も完全にモチベーションを失ってしまっていたのでした。

そして愛子はこのあとパワーリフティング/ベンチプレスの大会に出ることはありませんでした。いま考えれば、パワーリフティングやベンチプレスの大会への出場は、本人の希望というより周囲から「センスがある」「伸びる」と言われて、流されていたような感じがします。本当の意味でのモチベーションや、達成感、使命感などを得る前に、退く理由ができてしまった、ということだと思います。

私も世田谷区の理事をしていましたが、私自身はパワーリフティングの素質も才能もなく、あくまで愛子のサポートという感じでした。スポーツクラブの会員に「こんな競技がありますよ」というような紹介をする意味もあったのですが、人気も上がらず、またスポーツクラブと競技の間の雰囲気のギャップから、長く続けてもらえなかったことで、私が理事として在籍する理由がなくなっていったのです。

少し残念だったのは、パワーリフティングを通してつきあっている方々のなかに、スポーツクラブの筋トレについて「レベルが低い」という意識を持って私たちスポーツクラブの人間に接する人が何人かいたことです。確かに、パワーリフティングは筋トレとして最高に合理的なものだと思いますが、スポーツクラブにおいては目的がたくさんあって、年齢層も正直なところもっと幅広いのです。目的の優先順位も全く異なるのでフォームも意識も変わるのだし。重りを持って関節を動かすだけでいい人もいれば、ある部分だけをかっこよくするために、そこだけのエクササイズをしてもいいわけです。結局理事や審判から退いたのは、こういった人たちに私たちの立場を説明するのも面倒になったからでした。

もちろん、信じられないくらい献身的な方もいらっしゃいましたし、むしろそういう方のほうが多かったと思っています。特に愛子はいろいろな方にお世話になっていて、とても感謝していました。

その後、愛子はボディビルディングの世界へ足を踏み入れていくことになりました。こちらでは箸にも棒にもかからない状態だったのですが、それでも彼女自身が望んで取り組んだ、という意味では、たとえその後の最高位が新人戦の4位であったとしても、達成感は大きかったのではないかと思います。

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