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ティップネス時代

  • 作成日:2007-07-04 23:00:59 (中原 雄一) | 更新日:2007-07-04 23:00:59 (中原 雄一)

このクラブで体験したことはダイナミックなことばかりでした。

まず初めに下北沢のオープニング スタッフとしてアルバイトで入りました。このクラブには私の家内である愛子も1993〜1995年のあいだ勤務することになり、感慨深いものがあります。

アルバイトを初めてすぐ、当時のチーフ インストラクター(社員)に社員としての入社を勧められました。しかし、フリーでなくなると他クラブとの兼務など、行動の制約があることを考え、3度ほどお断りしました。

ティップネスに入って8ヶ月になるころ、同じ社員の方の「社員に許される業務は、アルバイトに許される業務と違い、深いものだ」という言葉に気持ちを動かされ、1988年8月に社員としての入社することを決意しました。

じつは、社員面接の時、アルバイトとして勤務時間中だったせいもありますが、ノーネクタイ、ジーパンというとんでもない出で立ちでした。それでも私を社員として採用してくださったティップネスの管理職の方の度量には、まことに感謝いたしております。片手 指二本での腕立て伏せ

アルバイトとしての最後の勤務で、「サントリー フィットネス エクスプレス(1988)」を体験しました。こちらはサントリーとJR東海が主催したものですが、新幹線(こだま)の中にジムを作るというすごいもので、そのジムのインストラクターとしての体験をさせていただきました。右の写真はその時のもので、ブルース リーのまねをし、右手の親指と人指し指のみで腕立て伏せを行っています。

1988年9月にはティップネス渋谷に移り、89年の8月まで勤務しました。ここで初めてジムのトップに立ち、多くの従業員を扱う苦労を学びました。

また、渋谷店では在任期間の後期に、ティップネス始まって以来のジムのイベント、のちにICOでも行ったPartial Body Shapingの原型となる期間集中型エクササイズ プログラムを作りました。

これが評価された、ということで、1989年9月、出張という扱いで第2回フィットネス リーダーズ セミナーに参加させていただきました。ジム社員としては初の海外研修だったと聞いています。

このセミナーはオレゴン州立大学の教授から運動に関する講義を受けられる、ということでとてもエキサイティングなものでした。

この大学は過去にも有名な運動生理学者などを輩出している大学だからです。

その後、なんば店のオープニング スタッフとして大阪へ転勤、社員として初めてオープニングを体験することになります。

今までのオープニングとは異なり、ジムにおいては私より上の人がいませんでしたので、責任重大です。とてもエキサイティングな時期でした。

今、このころのことを評価してみると、精神的に非常に無理をしていたような気がします。周囲に対して、負けることを許さない、というか、まったく余裕がなかったと思います。そのクセ責任感がなく、最終的には上司やスタッフに迷惑ばかりかけていました。いつでも、必要以上に自分を大きくみせようとしていたのですね。また、より幼かったこともありますが、自分のことしか見えていませんでした。

最終的に東京に戻ることを決心し、ティップネスでの勤務はなんば店が最後でしたが、振り返ってみると、このクラブで得たものはとても大きかったと思います。

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